未来のビジネスカタログ

 
ビジネスにも倫理が求められる時代となった。
昔ならとにかく発展第一。
環境や倫理は後回し。
それが国を強くした。
 
でも今は違う。
日本をはじめとする先進諸国は市場が飽和状態。
ただ経済的空白、基本需要を満たすだけではビジネスとして成り立たなくなってきた。
そんな時代の流れの中、世界が新たに見出したビジネスフロンティアは「持続可能性」。
環境、貧困、平等、途上国支援など。
2015年、国連が採択したプロジェクト。
SDGs(sustinable development goals)と呼ばれる。
 
これに多くの企業は目をつけた。
今どきの流行りは「環境にいい」とか「ジェンダーレス」とか「途上国支援」とかだ。
環境への影響は無視、男女格差、資本主義第一なんて流行らない。
もっとも消費者がこれらを一番に考えて行動するとも思えないが、少なくとも流行りは無視できない。
企業はSDGsに乗った。
国連お墨付きでいいことをしているから、堂々と広告出来るし、消費者側もいいことをしたという優越感を得ることが出来る。
企業、消費者双方にとってwin-winの関係ができる。
国連も万々歳だ。
 
しかし、流行りというものはいつか終わる。
それまでにSDGsワールドスタンダードに出来るかが重要だろう。
極端な例を出せば、近代の悲惨な戦争体験を経て人を殺すのは良くないことだという絶対的な常識(倫理)が確立したように、ビジネスはSDGsに基づくべきだという常識が根付くことができれば、その時、世界は変わり始めるだろう。
 
先進国と発展途上国の問題もある。
発展途上国はまず成長第一だ。
かつての日本がそうであったように、成長するためなら環境や貧困は一旦無視されがちだ。
発展途上国SDGsを意識する必要性を感じるのは、発展途上国から豊かな先進国となり、市場が飽和、次なるビジネスチャンスを模索するときであろう。
 
しかしそれでも、政治的な問題をビジネスという人間の欲求的な視点で解決していこうという姿勢はとても素晴らしいと思う。
いくら言葉や論理で訴えかけても人はなかなか動かない。
原動力がないからだ。
自分がわざわざ動く必要性を感じることはできない。
しかしそれが欲となると話は変わってくる。
欲のためなら人は動く。
そしてビジネスとは欲だ。
 
高潔な精神なんて必要ない。
欲がいい方向へと消化されることがあるのなら、その先にはきっと輝かしい未来が待っているだろう。
 

「多動力」

 

多動力 (幻冬舎文庫)

多動力 (幻冬舎文庫)

 

 

この本が言っていることは3つ。 

他人にやらせる

ハマれ

いろんなことに手を出せ

 

忙しいは理由にならない。 

無駄なことをやっているから時間がないように思ってしまうのだ。 

貴重な人生の時間は好きなもののために使うのだ!

それこそが人生を豊かにするし、成功へとつながる。

 

1、他人にやらせれば、その分自分の時間が増える。 

単純な算数だ。

一から十まで自分でやらないといけないなんて、妄想は捨てよ。そんなのさ美徳でもなんでもない。 他人に任せていいのだ。

ホリエモンはどれだけ本を出すの?って呆れてしまうくらい恐ろしいペースで本を出版するが、なんのこっちゃないゴーストライターがいるだけだ。

そして別にゴーストライターに書かせていることを気にする様子もない。

つまり適材適所。

本人は原液を作ったら、あとは任せて別のやりたいことをやればいい。

それは何の問題もない。

もっとも一人の人間の考えなんてたかが知れている

そもそも何冊も本が書けるほど中身のある人間なんていない。

ホリエモンの本も実は似たり寄ったりで、数冊読んでいれば新刊の内容も大体予測できてしまうようなものだ。

しかしそんなことは関係ない。

実際「多動力」は30万部を叩き出している。 数打てば当たる。

そこで回収すればいいって考え方なのだろう。

 

2、他人にやらせたところで、自分は好きなことをやろう。

ここに関しては「多動」である必要はない。

好きなことや興味を持ったことを気が済むまで何時間でも何十時間でもやればよい。

むしろとことん深く、時間をかけたほうがいい。

そのためにまず無駄なことをしないようにしたのだから。

そうやって楽しんでハマったことは教養となり、応用可能な糧となる。

浅い知識はただの知識で終わるが、深い知識は教養となるのだ。

 

3、最後はいろんなものに手を出すこと。

ポイントは「見切り発車」と「2割だけでいい」。 

5年間準備をしてからやるより、5年間で5回トライアンドエラーを繰り返す方がクオリティの高いものができるのだ。

また往々にして2割の力で7〜8割の結果が出せるものだ。

周到に準備して100%の力で取り組むことほど結果が出ず、労力を無駄にすることはない。

天才は冬に生まれる

ニュートンコペルニクスケプラーガリレオアインシュタインハイゼンベルクラマヌジャンノイマン、ホーキング。

主に自然科学の分野における「天才」と呼ばれる人たちである。

自然科学というのは特に「天才」が生まれやすい分野であるが、彼らも決して生まれた瞬間から天才とみなされていたわけではない。

それぞれ様々な家庭事情があり、様々な条件が揃ってその頭角を現してきた。

 

天才とはどのように作られるのだろう?

そのヒントはいくつか本書で言及されていた。

ひとつは、みな基本的に独学者であるということ。

人から教えられることや、カリキュラムで時代を動かすようなことは考えつかない。

ふたつに、基本教育、有り余るほどの本、物を考えるための自由な時間。

これらの環境が重要であり、その典型はニュートンだった。

 

天才たちの人生や学問界でのあり方はとても面白い。

ハイゼンベルクのように核兵器という人類を破壊しうる悪魔の武器を作り出すきっかけになってしまった天才や、アインシュタインのように別に彼がいなくても数十年のうちに他の誰かが同じ発見をしていただろうといわれている天才だったり。

 

彼らの生き方や考え方、立ち振る舞いをみていると勇気をもらう。

決して自分自身はひとりじゃないのだと。

比肩しうるは所詮現代を生きている周りの人間ではなく、過去の先人たちなのだと。

過去との対話を忘れるな。

価値があるのは周りの人間の意見や価値観ではなく、過去の先人たちの立ち振る舞い方やその思いだ。

常に先人が見ていると思え。

 

本書のタイトル「天才は冬に生まれる」に関しては最後の章で触れられるが、どうやらこの本で紹介されている天才たちは全員冬生まれ、特にやぎ座が多いらしい。

理由は特にわかっていないようであるが、本書で著者は脳科学からアプローチしたひとつの仮説を提示している。

実は僕自身やぎ座の生まれであり、なんだか急に自分の誕生日が誇らしく感じる。

 

最後に本書でもっとも印象に残った一節を引用する。

 

「科学者は、真実の探求を止めることが出来ない。為政者は、そこに、自己の利益を見出す。人類のこの愚行は、有史以来、ずっと繰り返されている。人類滅亡への螺旋階段である。」

 

それでも人は真実を知ることをやめられないのである。

その最もたる存在が「天才」といわれる人間だ。

 

天才は冬に生まれる (光文社新書)

天才は冬に生まれる (光文社新書)

 

 

希望の国のグランドデザイン

 

日本再興戦略 (NewsPicks Book)

日本再興戦略 (NewsPicks Book)

 

 

「今、世界でもっとも注目される日本人科学者が描く希望の国のグランドデザイン。」

 

新進気鋭。これからの時代この人についていけば間違いない。

そう評価され、メディアへの露出も多い落合陽一氏の最新刊。

内容は今までの発言やその他メディアで発信してきたことを一冊にまとめたという感じではあるが、その見識の高さに驚く。

「日本再興戦略」というタイトル通り、これからの日本はどうすれば再び輝けるかという落合氏なりの戦略が書かれているのだが、まず欧米とは何かという問題から始まる。

結果から言えば、現在日本が多く採用している欧米的価値観は日本に合ってなさすぎる。

元々あった日本的価値観をいま、導入すべきというもの。

日本的価値観は4点ある。

地方分権

・コミュニティ中心

カースト的住み分け

・非人間中心主義

江戸幕府はまさに日本人にあった統治方法であり、だからあのような平和な長期政権と成り得た。

 

 

 

そして近年新しいテクノロジーが次々と生まれてきている。

自動運転、自動翻訳、VR、MR、5Gなどなど。

これらはすでに一部では実現しつつあり、特に5Gは今までの世界を過去のものにしてしまうくらい強力なテクノロジーだ。うまく活用することで日本再興の武器となる。

 

 

 

そしてもう一つの切り札がブロックチェーントークンエコノミー。

ブロックチェーンとは分散型の台帳技術で全員でデータを管理するため信頼性が高く、次世代の技術として注目されている。これをあらゆる分野で導入する。そしてそれは非中央集権型(地方分権型)のテクノロジーである。

トークンエコノミーとは仮想通貨と同義と考えてもらって良い。

トークンエコノミーは今までの通貨制度の制約から逃れているため、可能性が無限大であり、うまく使うことで今までと違った形で経済を動かすことが可能になる。

ちなみにあまり知られていないことだが、日本は世界でもっとも仮想通貨に関する法整備が進んだ、仮想通貨先進国だ。コインチェック事件などもあったが、その程度で失速せず仮想通貨先進国であり続けなくてはいけない。仮想通貨は向こう数百年の国力を左右する。ITのようにまたアメリカに持ってかれてしまうことだけは避けたい。

 

 

 

「日本的価値観」と「新たなテクノロジー」この二つをブロックチェーントークンエコノミーといった仕組みで活用することによって日本は再興することができる。

そしていまの日本はタイミング的にも状況的にもそれらを活用するのに最もベストな状態なのである。

後は、日本人自身がそれに気づき、日本をシフトすることができるかにかかっている。

 

安直な中流マスメディアなんかに踊らされてはいけないし、くだらない情報や遊びなんかで未来を見据える眼を曇らせてはいけない。

 

ポテンシャルはすでに持っている。

しかし発揮するには「自覚」と「若干の行動」が不可欠である。

 

 

「指数関数的成長にとって、全ての点は、いつでも始まったばかりだ。」ー 本文「はじめに」より

引きずられない人

 

空海入門 (角川ソフィア文庫)

空海入門 (角川ソフィア文庫)

 

 

”わが国の生んだ最大の思想家、宗教家、そして芸術や文化の発展に大きく貢献した「引きずられない人」空海。その生涯と思想から、大師信仰とは違う「人間」としての空海の魅力に迫る最新の入門書。”(「MARC」データベースより)

 

 

別に仏教じゃなくてもよい。

生きるということは悩みや迷いが多いものである。時にそれは自分一人では抱えきれないものになる。

人というものは何かにすがらなくては生きて行けない。宗教というものはそのために存在している。

仏教、神道儒教キリスト教イスラム教、世の中に宗教というのは沢山あるが、自分が生きて行きやすいのであればどれでも構わない。肝要なのは自分が生きやすいと思った宗教を信仰することだ。それこそが宗教の本来の役割であり、あり方であると思う。

 

一方的な価値観で他の価値観を断定することは危険。もちろん多くの人々をまとめるためにはどれか一つの価値観でまとめなくてはならない。そういった時自分の信仰だけが正しく、他の信仰は悪だと考えることは争いを生み、人を不幸にする。 本来は人を救うための宗教が、その時は悪魔になる。

 

空海はそんな宗教的価値観の対立を乗り越え、一つの結論に達した。

 

空海は香川の豪族の生まれであり、幼い頃から儒教の思想や神道を学んできた。儒教神道の影響は生涯に渡って重要な財産として空海の中に残るが、最終的に選んだのは仏教であった。

空海の人生は悩みの多い人生であった。24歳の頃の著書「三教指帰」はその心情が吐露されている。

そして儒教神道、仏教と学んでいく中で、最終的に自らが救われるのは仏教によってであると発見した。空海は仏教を深く学び、変革していくのだが、空海は何も仏教こそが最上の宗教であると言ってはいない。それは人それぞれ違っていいのだ。

 

ここが空海の真髄である。そして現在の宗教問題を乗り越えることのできるヒントが隠されている。

つまり、「許容」である。

 

これこそが最上の教えであると決めつけてしまうことは他を排することにつながり対立を生むのだ。宗教はもっと自由でいい。個々人がこれがよいと思った教えを信仰すればよいのだ。それこそが宗教の本来の姿であり、空海自身も別に儒教でも神道でもよかった。たまたま空海自身は仏教であっただけなのだ。

 

現実はそう簡単な話ではないかもしれない。しかし空海の悩み抜いた人生から何かしらのヒントは導き出すことができるのではないだろうか。

クジラコンプレックス

 

クジラコンプレックス:捕鯨裁判の勝者はだれか

クジラコンプレックス:捕鯨裁判の勝者はだれか

 

 

私は現在30歳手前。

少し上の世代、いやだいぶ上の世代かもしれない。
学校の給食でクジラの肉が出ていたとか、家庭でも安価なためよくクジラを食べていたとか。

 

捕鯨は日本の文化だとばかり思っていた。
そして少し前話題になった映画「ザ・コーヴ」で捕鯨を批判され、変な違和感を感じた。
しかしそのときは深く調べようとしなかった。
日本の文化であるはずの捕鯨をなぜ部外者であるはずの海外の映画で、それも急に批判されなくてはならないのか。

当時の日本人の平均的な感想で終始し、そしてすぐに忘れていった。

 

この本は2010年におこなわれた、国際司法裁判所において日本が初めて敗訴した捕鯨裁判に関する半ドキュメンタリー本である。

 

最初の章ではいきなり核心に迫る。
日本における捕鯨は日本の文化ではないということ。
実際は文化と呼べるほどの習慣ではない。
鯨漁をやっていたのは一部の地域だけ。そして戦後の一時期に肉が不足していたとき、重要なタンパク源としてにわかに食べられていたこと。
それ以外はあまり接点がなかったという。

この事実は正直、衝撃だ。
捕鯨は昔から続く日本根付いた文化だというのは、ほぼ嘘だったのだ。

 

ではその思い込みは一体どこからきたのか。
ここでの事実はさらに衝撃だった。
捕鯨が日本の伝統文化だという一般認識は広告代理店による壮大な「仕掛け」によるものだったという。
それは日本捕鯨協会の委託によって国際ピーアール株式会社が1974年に始めたプロモーションによる結果だったのだ。
捕鯨を日本文化とするために多方面から様々なプロモーションを行い、それはついに国民が無意識に捕鯨は日本の文化と感じるまでに達した。
戦争における広告の手法は知っていたが、それは一国の文化を作り上げることさえできるようになっている。

何を信じたらいいかもはや分からなくなってくる。
世の中は誰かによって作られた無意識の産物なのかもしれない。

 


第2章からは本書のメインである2010年の国際司法裁判所のドキュメンタリーに入る。
公開されている裁判資料をもとに進んでいくようだが、ここは正直面白くはない。
裁判の議事録を読んでも面白くはないように、面白くはない。

 

最後にまとめとして筆者から提案がなされる。
本来あるべき正当な調査捕鯨のあり方を歪めたのは何か。

それは反捕鯨に対する単純な反発と捕鯨は日本の伝統文化だ、という「クジラコンプレックス」に他ならない。
そして政策決定過程において官僚がほぼ唯一の決定権を持っていることによる、第三者目線の欠如。


そしてそれを解消するために筆者は1つの提案をする。

政府と官僚だけではない民間シンクタンクNGONPOなどの第三者機関を交えた科学技術評価局の設立だ。
民間の視点を排除した官僚中心主義という日本の政策決定におけるあしき慣習が、今回の裁判で露呈してしまった。
その教訓を次にいかすにはその日本の政策決定にはびこる慣習を根本から変えなくてはならない。

捕鯨を例に採れば、反捕鯨に対する感情的な反発に終始することを止め、官僚が決めていた政策をもっと民間シンクタンクNGONPOなどが主体的に提案してゆくべきなのだ。

 

海外にはGreenpeaceやそれこそSea Shepherdなど、政府の意向抜きに国際社会に影響を与え、各国が動向を気にするような怪物級の国際NGOが多く存在する。

日本にもそこまでとは言わないにしても、政府に判断材料を与えるくらいの民間団体が多く存在してもいいのではないだろうか。

餅は餅屋という言葉もある。

政府がやれることにも自ずと限界がある。

民間の知恵を上手く取り入れることができれば、より柔軟な政策を作ることができるように思う。

また日本のNGONPO自身もそのくらい社会に影響力を持つくらいにならなくてはいけない。

政府が看過できないほどの存在になればいいのだ。

政治がダメだ、政治家は自分のことしか考えていないと批判するのなら、民間もそのくらいのことをやらなくちゃいけないのだ。

巨大な数学という生き物

 

生き抜くための数学入門 (よりみちパン!セ)

生き抜くための数学入門 (よりみちパン!セ)

 

 

当方、中学生くらいの頃からこと数学に関してはからっきしダメで、一応作業的な連立方程式などは楽しくやってた覚えがあるものの、高校からは数学アレルギーにかかり、全くと言っていいほどやってこなかった。

最も数学の世界に関して興味はずっとあり、NHKのわかりやすく映像化された数学に関するドキュメンタリーなどはよく見ていたり、いつかはできるようになりたいとは思っていた。

 

最近改めて数学を勉強し直そうと思っていた矢先、家の平積みされた本の中から面白そうな本があったので読んでみた。

というのも、基本的に僕の本の購入スタイルが、古本屋でまとめて5〜10冊ほど一気に買ってしまうので、読まずにそのまま家で眠っているという本が多い。

 

それはともかく、この「生き抜くための数学入門」はいわゆる数学参考書ではない。

日常に即して理解しやすく数学を学び直すといった趣向でもない。

中学校、高校と数学を先生に言われるがまま、教科書に書いてあるがままに学んできたことってそもそもどういうこと?ってことを分かりやすく解説した内容。

具体的には「円周率とはなにか?3,から始まる理由ってなに?」「四角形の条件って?」「かけ算の筆算はなぜ正しい?」などなど。

学校ではかえって混乱してしまうため、説明は省いてとりあえず暗記させられていた数学の本質とも言える部分にスポットライトを当てている。

内容も中学数学の基本的な計算がわかればスラスラ読める。

 

この本を読むと数学とは決して数学の神様が突然現れ、公式や法則を提示して人間が覚えていったなどというものではなく、人が疑問に思ったことを人が解決するために人が編み出した、すべて必然的な意味のある概念や考え方のことなのだと理解できる。

 

そして同時に数学が多くの人から忌避される理由も分かった。

 

それは数学が現実には存在しない世界の概念を扱う学問であるから。

例えば「無限」の概念や、幅が0である「数直線」の概念。「マイナス」の概念もそうだ。

そういった現実のはない概念を皮膚感覚で扱えるかが数学ができるようになれるかどうかの境であるのだろう。

 

そして本書は最後に今までの根底を覆すような数学の限界も示す。

 じゃあ今まで苦労して理解してきたことはなんだったの、と思うほどに衝撃的なラスト。

 

しかし著者はだからなんだっていうの?と強気に読者に問いかける。

限界があるからやらないの?可能性が有限ならあきらめるの?そんなの関係ない。やるかやらないか。

おもしろいことはやればいい、と。

僕も数学の世界をもっと見たい、知りたい。だから勉強し直そう。そう思いました。

 

数学という、日常生活をしていたらまず見ることはない不思議な世界。

その一端をほんの少し覗いてみたい方は、ぜひご一読をお勧めします。