歴史とは戦争の歴史である。
人類は常に人を殺し、殺され合ってきた。
そんなこと現代の日本では想像することすら難しいが、平和なんていうのは歴史から見れば異常な状態であるのだ。
日本の歴史にはその名の通り戦国時代という時代があった。
日本全土が戦争状態となり、お家の繁栄などやプライドという下らないもののために日々人が殺し合いに明け暮れ、弱いものは殺され、強いものは盛えていった。
「関八州古戦録」はそんな戦国時代末期の関東地方60年間に焦点を当てた物語集。
関東地方、しかも60年と、かなり限定されていながら内容はほとんどが戦の話で、胃もたれするほど次から次へと戦の話が繰り返される。
物語の中心は上杉謙信、北条氏康、武田信玄などで、その他数え切れないほどの弱小大名や武将たちが登場する。
もちろんその中には自らの矜持や慈悲を大切にした者たちの話もあるものの、上の三人を含めほとんどが人を殺すことによる武勇談や栄枯盛衰の物語。
何故ここまでして人は争うのであろうか、
そこまでして人を殺さなくてはならないのか、
そのほとんどがお家繁栄や、自身の栄達、武勇を誇示するため。
本当にそんなことが必要だったのであろうか。
しかし、どんな時代も現代の常識、倫理観で当時を推し量ることほど見当違いなことはない。
当時はそうしなければ生きられない時代であり、そうすることが当たり前だったのだ。
人を殺すことにより生きる意味、活路を見出し、そうしなければ自分が殺される。
そしてこれは戦国時代に限ったことではない。
歴史上のどの時代も同じであり、そうしなければ生きられなかったのだ。
良い悪いの問題ではなく、そうしなければならなかったのだ。
おそらく僕自身もそうしただろう。
人類の歴史はそんな歴史の必然性、どうしようもなさで出来ている。